よしみの日記

日々かんじたことを適当に。

浅い呼吸と胸の痛み。

最近、呼吸が浅くしか出来ていないなぁ、ということが気になっていて、

気づいたときには深呼吸をするようにしていた。

 

そうしたら、タイムリーに、

呼吸が浅いときは、心臓の左上あたりを押してみてください。

痛いときには、悲しみや寂しさを堪えているときだ、ほぐすことで、呼吸は深くなる、

というようなことを書いてあるブログが目に入った。

 

そこで、早速胸の左上を押さえると、痛い痛い!

しばらく、イタ気持ちいいくらいの強さでもみもみしていると、

ふと、独身のときの寂しさ、帰って、冷たい布団で独り寝をするときの、

どうしようもない孤独感みたいなのが湧き上がってくる。

 

どんなに、旅行に行って美しい景色を見ても、大好きな漢方薬に囲まれていても、

そのことを話して、一緒に喜んでくれる人がいないことが、もの凄く虚しく、寂しかった。

 

ひとりで、布団の上でわんわん泣いていたことを思い出す。

 

頑張ってたなぁ、よしよし。今は、ちゃんと隣に寝ていてくれる旦那さんがいて、幸せだよ。

と心の中で話しかける。

 

それで、ふと気づくと、胸の上の痛みが小さくなって、息を吸うのが楽になってる!

 

悲しみや寂しさは、筋肉のこわばりとして固まるのかもしれない。

そして、どうしようもないことを乗り越えるために、固めて鎧になってくれてたのかもしれない。

 

もうそろそろ、力抜いても大丈夫です。

 

京都観光

京都に住んでる。そのことがとても嬉しい。

 

少し、旅行で遠出したときには、帰ってくると、町からエネルギーが充電されていく感じを受ける。

 

ずっと、住んでるだけで満足で、あまりお寺なんかは行ってなかったけど、

最近、せっかく京都に住んでるんだから、

お寺や神社にもっと行ってみよう、という気持ちになる。

 

とりあえず、雪の金閣寺へ。

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なんて上品なんだろう。

金ピカで下品なんじゃないかとおもってたけど、びっくりするくらい上品。

 

これを独り占めしたい、という人の気持ちはわかる気がする。

 

冬の過ごし方

寒さも少しましな今日の京都。

お店があまりに暇で悲しくなるけど、ゆっくり自分のやりたいことをしたり、

休息したり、冬の幸せな過ごし方って、

こういう感じかもしれないと思ったりもします。

 

一昨年、お店の赤字を賄うために、限界ギリギリまで身体と心をすり減らして働く。

 

そして、職場で、とうとう我慢の限界がきて、兼業をやめる。

 

やめてみると、一気に身体が言うことをきかなくなり、だるくて起きられなくなる。

ずいぶんと無理をしてた、ということを、辞めてみて初めて気づく。

 

そういえば、昔からずっとずっと、人の顔色ばかり見て、人のために頑張ってきたなぁ。

 

人の気にいるように頑張りすぎて、自分の気持ちや身体のことに、すっかり鈍感になってたみたい。

 

人から非難されはしないか、いつもビクビクしながら、みんなにとってのいい子でいようと神経をすり減らしてた。

 

でも、誰よりも自分を非難してたのは、自分自身で、こんなブスでデブな自分は、

人の役に立たないと生きてる資格がないと思ってたんだと気づく。

 

自分の無邪気に笑う写真をじっと見ていると、こんなに屈託のない笑顔をしてる人を、

そんなにいじめてきたんだ、という事実に、自分に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

こんなにずっと、批判ばっかりしてきたわたしなのに、今までなんとか生きてこれるように頑張ってくれて、

ありがとうっていう気持ちで涙がこぼれそうになる。

 

まだ、うつうつとした気分は完全にはなくならないけど、少しずつ、元気になってきてる今日この頃。

無力感

昨日は、ひどい生理痛により、1日身体を動かすのが億劫な感じ。

 

冷えを改善したり、睡眠時間をとったり、

自分なりに気を使っているつもりなのに、

こんなにもだるい、ということに、

どうしようもない無力感に襲われる。

 

しんどいわたしに、旦那さんは湯たんぽを作ってくれたり、

わたしの大好きなうどんを作ってくれたり、

ほんとうにやさしい。

 

なんでこんなに役に立たないんだろう、

もっといろんなことができる、バイタリティのある身体が欲しい、、、

 

そう思って、ずいぶん気分がふさいだ。

 

しょうがない、これがわたしが神さまからもらった身体。

生理のときくらい、ゆっくり休みなさい、という合図だと思って、

ひたすら寝ることに専念する。

 

今日は少し気分がいい。

添加物どうこうより

よく、Facebookなんかで、

この食品は添加物が入っているから買わない方がいい、

みたいな情報が流れてくるのを目にする。

 

それを見て、わたしは、それもそうかも知れないけど、

もっとただシンプルに、美味しいか美味しくないか、ということを突き詰めていく方が、ずっと楽しいし、健康にもいいんじゃないかなぁ、と感じる。

 

美味しい!って感じることは、

身体と心がとっても浮き立つことで、

これを食べると身体に悪いんじゃないか、、、

と世の中にある食べ物を疑って回ることより、ずっと健全な姿勢に感じる。

 

ただ、美味しくないな、と思うから避ける、距離を置く、

美味しいな、と思うから、もっと近づく、

という風に、人と付き合うように食べ物とも付き合ったらいいと思う。

ダメ人間

8年くらい前のこと。

 

人が失敗したり、だらしなかったりしても、いいよ、気にしないで、と本気で思ったし、言っていた。

それなのに、失敗したり、部屋が散らかっていたり、だらしない自分のことを、ずっと責め続けていた。

 

あるとき、人のことなら許せるんだから、自分のダメさ加減も許してあげたらいいじゃん、と、ぽんっ、と浮かんできた。

 

それから、ダメな自分を少しずつ、許してきた。

 

今の自分は、あのときよりずっと何にもできない、ダメ人間になったけど、あのときより、ずっと自分のこと、好きになったなぁ。

半年前の自分。

たまに、SNSやぶろぐに書いた内容を見返す。

そうすると、半年前の自分が投稿していることが、どうしようもなく、こっぱずかしいと感じることが多い。

 

でも、2年くらいたつと、なんだか一生懸命やってたなぁ、いろいろ考えてたんだなぁと、しみじみした気持ちになる。

 

今の自分や半年前の自分も、2年前の自分と同じように、受け止めてあげたい。

 

ふとそう思った深夜3時。